世界のはて

『はてな非モテ論壇』の一角だった場所

空気が読めない人間は、実写映画を楽しむのにも一苦労

【俳優の演技の意味が、解釈できない俺】

・マッチポイント
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縁あって、↑の映画の試写会に、彼女と一緒に行ってきた。

観終わってから感想を言い合ったんだけど、ラストシーンの主人公の表情の解釈が、僕と彼女のあいだでえらく食い違っている。僕は「しめしめ、上手くしてやったぜ。くっくっく」という感じだと思ったんだけど*1、彼女は「罪悪感に苦しんでいる感じ」だったと、僕とはまったく正反対のご意見。

この解釈はたぶん、彼女が正しい。というのも僕は、映画やドラマで役者の「演技」や「表情」の意味を読み取ることが、酷く苦手だという自覚があるから。マンガやアニメなら、ここらへん全然大丈夫なんだけど。

なんで「マンガ・アニメ」はOKで「映画・ドラマ」はダメなのかというと、このふたつでは「演技コード」の解読法が違うからだと僕は思っている。

【『演技コード』の表現の違い】

映画にしろドラマにしろマンガにしろアニメにしろ、「物語メディア」っていうのは「ストーリー」と「登場人物(キャラ)の演技」の組み合わせで物語が進んでいく。そして「演技」は、メディアに関係なく現実の人間が取る行動をデフォルメした「コード(記号)」として表現される。

このコードの表現・解読ルールが、「映画・ドラマ」と「マンガ・アニメ」では違う。後者のほうが、前者よりも大袈裟に、より強くデフォルメ・記号化された形で「演技」は表現される。たとえば「驚き」を表現する際、後者では「眼玉が飛び出す」等の現実では有りえないオーバーな表現*2が用いられるが、前者では、微妙な顔の筋肉の動き等による、現実に近い表現になる。

おすぎがこの前「とくダネ!」の「時をかける少女」の紹介で、「アニメと映画は別のジャンルだと思ってる」と言っていたけれど、彼(女)が言う「ジャンルの違い」は、この「演技コード解読ルールの違い」なのだと思う。

で、僕は「マンガ・アニメ」のコードは簡単に解読できるんだけど、「映画・ドラマ」の「現実に近い微妙なコード」はよく理解できない。たぶん、僕が映画を観ているときに見落としている「演技情報」は、もの凄く膨大だと思う。酷いときにはそのせいで、映画の筋がまったく追えなくなることもあるくらいだ。

「映画・ドラマ」の演技コードを正しく読み取れる人は、きっと僕よりもずっと深い情報を映画やドラマから受け取り、感動できているのだと思う。正直、羨ましい。「俳優好き」になるような人はきっと、俳優の演技コードの読み取りが上手い人なんだろう。僕は演技の「上手い/下手」自体がよくわからないから、「演技」の面から俳優のファンになるなんて、考えられないもんなぁ。

これは単純に、僕が小さい頃から映画やドラマをほとんど観ず*3、ゲームやマンガに多く触れてきたため、「マンガ・アニメ」のコードには慣れているが、「映画・ドラマ」のコードに慣れていないということなのだと思う。だから逆に、「映画・ドラマ」のコードは読み取れるけど、「マンガ・アニメ」のコードは読み取れないという人も、きっといるのだろう。

【現実の人間の演技も、解釈できない俺】

……と、ここまでは「映画・ドラマ」と「マンガ・アニメ」の演技コードには、表現・解釈の違いがあるよねって話。

ここでふと思ったんだけど、「映画・ドラマの演技コード」は、「現実の人間の演技コード」に近いんだから、「映画・ドラマの演技コード」の読み取り能力に優れてる人は、「現実の人間の演技コード」の読み取り能力にも長けてるんじゃないだろうか?実際僕は、「映画・ドラマ」だけでなく、「現実の人間の演技コード」を読み取る能力にも欠けてる気がするし*4

でも、映画のコードも所詮は「記号」だからなぁ。「映画・ドラマの演技コード」と「現実の人間の演技コード」の読み取り方は、また別物と考えたほうが正しい気もするし、でもある程度は応用効きそうな気もするし、ここらへんの真相は、僕にはよくわからない。

まぁ「映画・ドラマ」の鑑賞能力を上げることは、現実の人間とのコミュニケーションスキルを上げることにも、多少は役に立つかもねっていう感じで、とりあえずまとめておきますか。

*1:デスノート第103話(最終巻)で、矢神月君が「まだ笑うな……」って笑いを堪えているシーンみたいなイメージと思いねぇ。

*2:いや、流石に古典的すぎる気がするけど、良い例が思いつかなかった。ごめん。

*3:というか、テレビ自体ほとんど観なかった。

*4:僕はときどき、「空気が読めないヤツ」というありがたくもない評価をいただく。