世界のはて

『はてな非モテ論壇』の一角だった場所

責任とらなくて良いけど、「配慮」くらいは気持ちの問題として持っときたいと思うけどねという単純な話

注:大前提として、この記事や大野さんが言うところの「場」とは「ネット」や「はてな全体」といった大きなものではなく、「比較的濃い情緒的な交流が維持されているブロガー間のコミュニティ」としての「場」です。今回の議論では、このへんが拡大解釈されておかしなことになっている人が多いようなので、認識間違ってる人は要注意!(参照1)(参照2


http://www.absoluteweb.jp/ohno/?date=20070614#c03
今回、kanoseさんが大きく取り上げたから「村長の強権」とか「村八分」とか言っているけど、自分が罵倒や脅迫的行為をされたときにアルファブロガーが取り上げたら、「強権だ」とか「村八分」だとか「連座制反対」というの?

結局のところ、連座制*1の話になると、途端にみんな拒否反応を示すのは、誰もがみんな、自分が「被害者」になるよりも「傍観者」になる可能性のほうが圧倒的に高いからなんですよね。いじめ問題で、「見ている人間も加害者だ」という話になると、それまで「いじめ反対!」と叫んでいた人達が、途端に微妙な顔つきになるのと同じ話で*2

まぁ誰だって、自分が直接手を下したわけでもないことで責任を追及されるのは嫌だってのは、当たり前っちゃ当たり前の感覚です。

僕は連座制を導入するほどに周囲の人間の責任を問う必要はないと思いますが、同時に特定の指向性を持った「場」が形成されているからこそ加害者の暴走が加速されるという側面も事実としてあるわけで、ある程度の「配慮」は「場」に加わっている人間にモラルとして問われるべきだと思っています。「責任取れ」とまでは言いませんけど。

僕は少なくとも、自分が所属する「場」にいる誰かが苦痛をハッキリと表明していたら、加害者が身内だろうと他人だろうと(←ここが難しいのよ。「身内」は「場」の共有者だから)、止めに入りたいと気持ちの上では思っているし*3、実行できる/できないは別として、そういった配慮を持つことが、「場」に存在する暴力的な空気を軽減する「モラル」なのだと考えています。

そしてこのモラルを場の構成員ひとりひとりが忘れる、あるいは諦めてしまうことこそが、大野さんが繰り返し訴える「そこにあるどうしようもない想像力のなさ、鈍感さの中に孕まれる真の暴力性」なのでしょう。

http://www.absoluteweb.jp/ohno/?date=20070614
たとえば、書くことが誰かを傷つけることになる可能性が常にあるのを認識し、どこから来るかわからない批判は覚悟した上で、あえて書くという立場を私は否定しない。それも個人的倫理だと思う。否定したいのは、コミュニケーションにおいて傷つくということがどういうことかよく知っているにも関わらず、「場」から発せられる暴力的言辞と自分がまったく無縁であると信じて疑わないようなメンタリティである。

*1:この言葉、初めて知りました。「連帯責任」と同義語でOK?

*2:ここらへんから「ホームレスを見逃したら間接的殺人か?問題」なんかにも派生するんだろうけど、これは今回の話とは微妙に別バナ。

*3:まぁ僕はアルファ雑魚なんで、大物ブロガーの尻馬に乗って陰から石を投げる程度のことしかしませんが。