世界のはて

『はてな非モテ論壇』の一角だった場所

「自分に嘘をつかないこと」VS「相手にとってどうであるか」

もの凄いワンサイドゲームっぷりに、違和感


↑の記事を読んで。

僕の記事への感想はブコメに書いたとおりなんだけど、その後のブコメのもの凄いワンサイドゲームっぷりを見ていたら、久しぶりにまいのりしい気持ちになってしまった。この増田(以下、増田女)に言い寄ってきた男(以下、増田男)の行為はそこまで叩かれるようなモノだとも思わなかったから。

増田男の行為は確かに恋愛戦略的には悪手だと思うし、増田女は好きでもない増田男相手にママのように振舞う義理もないと思う。でも、「親しい相手とは良いところも悪いところもひっくるめて、腹を割った付き合いをしたい」という増田男の欲求自体は、自然なものだと思うから。

ただ今回のケースでは、増田男の欲求は、残念ながら増田女には受け入れられなかった。ただ、それだけのことだと思う。この増田男が、フラれた後にそれ以上増田女に粘着して迷惑をかけたりしていなかったのであれば*1、増田男の行動は、そこまで責められるようなものではないだろう。

確かに恋愛には市場的なところがあるから、自分を売るために多少の見栄を張ったり、自分の長所をアピールすることは欠かせない。でもそれは、あくまで処世術として必要だから、やむを得ず、多少の罪悪感を感じながらやるものだと僕は思っていて、その「やむを得ない処世術」がまるで「正義」であり、それを行わない増田男が「悪」であるかのように見えるあのブコメは、僕の価値観から見れば違和感を感じるものだった。

たぶんブコメで増田男を「自己中」だと批判している人たちの眼には、増田男が増田女の気持ちを全く考えず、自分の欲求ばかり押し通そうとしているように映っているのだと思う。でも僕は、そうとは限らないんじゃないかと思った。自分の欠点をあらかじめさらけ出すことは、その欠点を隠しておいたために、後からそれを知った増田女を傷つけないための、「相手のことを想った」心遣いだったのかも知れない。

http://anond.hatelabo.jp/20080825123643
きっと彼が短所アピールをしてきたのは、付き合った後にボロが出てすぐ別れるくらいなら、最初からわかっていて欲しいという思いがあったのではないだろうか。

それだけ本気だったとも言える。


僕のあの記事への感想は、↑の増田に近い。自己中だというのであれば、最初に着飾った仮面の自分を相手にプレゼンし、いざ付き合ってみれば中身は全然違う人間だったとか、「釣った魚に餌は不要」とばかりに態度が豹変するタイプの人間のほうが、よっぽど自己中だと思う。

もっともあの増田女の視点からの文章からは、僕が感じたような「心遣い」からの「告白」だったのか、ブコメで批判されていたり、ここでp_shirokumaさんが記事に書いているような自己中心的な「保身」だったのか、僕には判断しようがないのだけれど*2

たぶんこのふたつはどちらも極論で、増田男の行動は、これらの感情が複雑に入り混じったものだったというのが実際のところなのではないかと思う。

「嘘も方便」が、なんの屈託もなく正当化されまくっている感じに違和感

この話は、「自分に嘘をつかないこと」と「相手にとってどうであるか」のどちらに重点的に価値を置くのかという話なのだと思う。もちろん、前者ばかりでは世の中を渡っていくことは難しい。嘘も方便。キレイな嘘は、処世術として必要。でも、それはあくまで「処世術」であって、「正しいこと」として語られることには違和感を感じる*3

僕は嫌いな考え方なんだけど、「浮気をするなら、絶対にバレないようにやって欲しい」という意見を耳にすることがある。そういうことは、相手に言わないことが「優しさ」だと言う意見すら聞いたことがある。「実態は関係ない。自分の視界に入らないことは、起きていないことと同じだから」というわけだ*4

なるほど、確かにこの浮気者の行動は「相手の気持ちを考えた」「優しい」行動だ*5。でも僕は、この浮気をされた側の意見は、「自己中」だと思う。「自分が見たいものしか見たくない」という思考。そこには、↑で増田男が批判されているのと同じように、実在する相手の存在が、無い*6

自分に漏れ伝わってくる情報さえ主観的に心地よいモノであれば、その嘘の裏で行われている実態がどんなに酷いものであったとしても、それでいいのだろうか(いいのかも知れない、と思うことは僕にもある)。

まぁ人間は弱い生き物だし、世の中は複雑だ。ありのままの事実を全てを受け入れろというのは、酷な話だとも思う。元記事の増田女には、好きでもない増田男の「ありのまま」を受け入れる義理はない。僕自身、「優しい嘘」をついて欲しいと思うことや、つきたくなることだってあるし、事実、ついている。

ただあのブコメは、「自分に対して誠実であること」は自己中心的であり、「相手にとってどうであるか」を考えることが素晴らしいという価値観一色に染まっているように感じられた。だから、カウンターとしてこの記事を書いた。

もし、「実態」よりも「相手にどう伝わったのか」がはるかに重視され、「嘘も方便」がなんの屈託もなく「正しいこと」とされるのが今の時代の価値観なのだとしたら、その価値観は、僕にとっては醜いものだと感じられる。

以下、自分語り

僕がこういうこと書く背景には、実際過去脱オタした後で、「仮面の自分」を愛されているみたいで相手を騙しているような罪悪感と、演技し続けることのしんどさに苦しめられたという過去の苦い体験がある。これは極端な例だとは思うけど、「嘘も方便」も、あんまり使いすぎるとしんどいですよ。マジで。

・純粋なココロ: 最高のクリスマスプレゼント


私は、脱オタの前後で、まったく違う人間になってしまった。過去と現在が連続しておらず、繋がっていない感覚があるのだ。Yは、脱オタ前の私を想像できないだろう。


私は、Yを騙しているのだろうか?


ずっとどこかに、そんな罪悪感があった。自分が望んだ変化だったとはいえ、今の私は「本当の私」ではなく、「作られた私」であり、Yは私の「作った」部分が好きなだけなのではないか?過去の私を知ったら、Yは幻滅してしまうのではないだろうか?

ブコメにレス 2008/08/26 PM.15:30

id:daihx 恋愛 結局本人の真意はどうであれ、どう受け止められたかが全てじゃないかと// そういう意味で真意がどうであれ元記事の相手は失敗している//それが感想の多勢にということじゃないかなと

えぇ、その通りですね。でも本当に「どう受け止められたかが全て」で、実態はどうでも良いのかな、という部分に引っかかりがあります。


id:p_shirokuma 繁殖行動 どうせなら「俺は欠点が多々あるが、欠点を補うか、欠点を凌ぐ何かで君をどうにかしたいと思ってる」ぐらいに言おうぜ。/なんか「僕がいいひとである為に、君を傷つけたくない」オーラを感じるような気がする

僕がこの記事で書いていることは「自分を取り繕うことは処世術で仕方ないけど、それは多少の後ろめたさを感じながらやるようなことで、正当化されまくるのはおかしい」ということですけど、どこからそういうオーラを感じたのか、よくわかりませんでした。そういうこと、書いてありますか?


id:kurokawada でも、逆に、「嘘も方便」であるところのナンパ師メゾットやナンパ師成功譚が、猛たたきにあっていたのをいくつも見ましたよ。ナンパ師やナンパ師メゾットがこれほど忌み嫌われているとは、とちょっと驚きましたね

もちろん酷い実態は、バレれば叩かれます。でも、バレなければそれで良いのだろうかっていう話です。産地偽造食品も、バレていないうちはおいしくいただける、的な。ただ僕自身、バレなければそれでいいのかも知れないと思うこともあり、この辺には葛藤があります。


id:pbh 「ありのままの自分」=「ボクの我がままを許容せよ!せよったら!」/自分に嘘つかないと社会性を獲得出来ないんだったら、もっと最初っからやり直せよ。

無茶振りしないでくださいw

*1:この辺、実際どうだったのかはあの文章からは読み取れなかった。

*2:他のこの記事に言及している人たちと同じように。

*3:だから僕は、仕事とはいえ自社の商品の良い部分を誇張してアピールする必要がある営業職には、絶対に就きたくないと思っている。罪悪感に耐えられないと思うから。

*4:セカイ系」という言葉を連想する。

*5:実際にはその前の浮気を実行した段階で、誠意も優しさもないだろって話なんだけど、それはひとまず置いておく。

*6:もちろん、浮気する側の人間が自己中であることは言うまでもなく当たり前。でも、浮気をされた側のこの意見は、ある種の共犯関係だと僕は思う