世界のはて

『はてな非モテ論壇』の一角だった場所

非モテに歴史は存在しない。ただアーキテクチャに依存するのみ(あるいは非モテのモテ性について)

はてな非モテ・イズ・デッド(哀)

2005年前後にはてな界隈を席巻した「非モテ論壇(笑)」。しかし最近は論壇に目立った動きもなく、はてなにおける「非モテブーム」はあらかた終結したように見える。

ブームの渦中で「非モテ論壇」メンバーが創刊した非モテはてな系同人誌「奇刊クリルタイ」(本誌)も今回の特集は「非モテ・イズ・デッド」。かつて「非モテ論壇」の中心で日々エントリを上げていた身としては寂しさを感じもするが、これは仕方のないことだと思う。嗚呼、諸行無常

そんな気分の中、今回は久しぶりに非モテに関する文章を書いてみようと思い立った。

テーマは「非モテの歴史」。

非モテ論壇」に積極的に関わってきた当事者から見た非モテの歴史を資料的にまとめ、記録として残されるような文章になれば、これ幸い。

ネットにおける非モテの歴史

【1.テキストサイトの『ネタ非モテ』時代(1999年〜2001年)】

ネットにおける非モテの歴史の起源は、90年代終盤、テキストサイト全盛期に遡る。この頃、テキストサイト管理人が、自らがモテないことを自嘲気味にネタとして語り合い、皆でそれを笑い飛ばすという文化があった*1

非モテに限らずこの時代のテキストサイト界隈は「ネタ至上主義」的な空気が強く*2テキストサイト管理人達は「いかにウケるネタを繰り出し読者を笑わせるか」を日々競い合っていた。そんな中、非モテもネタの1つとして利用されたというのが、この時代の「非モテ」である。

【2.はてな界隈を中心とした『非モテ論壇』時代(2004年〜2007年)】

「ネタ非モテ」の時代から数年。2005年前後のブログブームと共に、はてなダイアリー周辺で非モテがメジャーなネタとして浮上。「非モテ論壇」と呼ばれるコミュニティを形成するようになる。

非モテ論壇」の特徴は、「論壇」という単語に象徴されるように、「非モテを社会問題として捉え、人文科学系の学問と絡めて語る」「非モテに思い悩む自らの自意識の吐露」といった「重い」話題が多かったことである。

このブームの下地は、「LovelessZero(現socioarc)」「汎用適応技術研究(はてなid:p_shirokuma氏の元本家)」といったサイトが行っていた、「『オタクの恋愛』『脱オタ』といったテーマを、社会学や心理学等の人文科学と絡めて語る」というスタイルが作ったと個人的には考えており、「非モテ論壇」黎明期には、このふたつのサイトからの引用を多くみかけたものだ*3

はてなダイアリーには、当時からなぜか人文系/サブカル系のブログが多く、上記サイトの「非モテ論」スタイルは、はてなダイアリーの文化風土と相性が良かった。

こうしてはてなダイアリーを中心に徐々に増えていった「非モテエントリ」だが、当初はエントリが各所に点在するだけで、「論壇」と呼べるようなコミュニティは形成されていなかった。

これをまとめるハブの役割を担ったのが、当時「はてな村の村長」として高い人気を集めていたid:kanose氏である。ネット上の揉め事ウォッチャーとしても名高い氏は、非モテ関連の揉め事を、まとめ記事として多数エントリ化。これにより「非モテ論」は、多くのはてなユーザーに知られることとなる。

さらにこれと同時期、2ch発の脱オタストーリー「電車男」がドラマ化を期に社会的ブーム化。これに反論するように、キモオタ陣営からは、現実の女への絶望と2次元への解脱の薦めを説いた「電波男」(本田透)が出版される。この流れを受け、2ch文化圏の非モテが集っていた「独身男性版」が「モテない男性板」(電波男派)と「モテたい男性板」(電車男派)に分裂するなどの動きを見せ、この方面でも「非モテ論」が勃興。はてな界隈の非モテ論壇とも絡みを見せ、さらに非モテブームを盛り上げる一因となる。

こうして拡大していったのが、はてな界隈における「非モテブーム」である。この時期の「非モテ論壇」はおおまかにいって、

  • 処女崇拝指向が強く、自らを「モラリスト」であるとして堕落した現代の女性/DQNへの批判を行う「非モテ右翼」(電波男系)。
  • フェミニズム男性学等の人文科学と絡め、非モテを社会問題として語る「非モテ左翼」
  • 非モテ脱出のために努力し、異性と付き合うための技術論を考察する「脱オタ派」(電車男系)
  • 上記のどれにも属さず、自らの非モテに起因する悩みを吐露したり、ネタにしたりしてエントリを上げる「自意識/ネタ派」。


の4つの派閥に分かれ、各派閥がエントリを通じて自らの主張を掲げ、時に炎上し、時に笑い、時に友情や共感が芽生え、まさに血で血を洗う地獄のありさまを呈した。後に言う「非モテ戦国時代」である(僕が勝手に言っているだけだが)。

【3.非モテSNSの『非モテコミュケーション』の時代(2009年〜)】

主要プレイヤーの引退、話題の枯渇とループ化等で、はてな界隈における非モテブームも終焉に差し掛かった頃、全く別の場所から新たな非モテブームが勃興した。「えがちゃん」こと永上裕之氏が運営する「非モテSNS」がそれである。

非モテSNSの開設は2008年12月だが、1年と経たずに会員累計30000人を突破。マスコミへの露出も多く、規模でいえば過去のどの非モテブームよりも大きな広がりを見せている。

非モテSNSの特徴は、「コミュニケーション指向」と「ライト指向」にある。そもそもSNSは、テキストサイトやブログに比べ、閉鎖的だがそのぶん濃密なコミュニケーションを行うのに適したツールだ。この特徴を活かし、ネタとしてライトに非モテを肴にしたコミュニケーションを楽しもうという層が、このSNSを利用しているらしい。

新宿ロフトプラスワン等で定期的に行われるイベント「非モテ大会議」もこの路線を踏襲しており、客層も非モテを真剣に悩んでいるというよりは、「面白そうだから」「友達を作れそうだから」という理由で参加する人間が多いと聞く*4。「超ライト非モテ」の誕生である*5

非モテ論壇」が自意識や社会問題と絡めて「重く」非モテを語っていたのに比べると、全く毛色の違う路線を非モテSNSは採っており、プレイヤー層も異なる。実際「はてな論壇」の主要プレイヤーで非モテSNSを積極的に利用している人間を、僕は一人として知らない。しかし、この「ライト感」こそが、非モテSNSをここまで大きなものにしていることは間違いないだろう。

アーキテクチャに規定される「非モテ語り」

さて、これまで「テキストサイトはてな界隈→非モテSNS」と連なる、インターネットにおける非モテの歴史を振り返ってみた。これを見ると、非モテの語られ方は、ブームとなった「文化圏」や「ツール」といったアーキテクチャの特徴と、強く連動していることにふと気付く。

例えばテキストサイトでの非モテは「ネタ」として消費されたが、これは非モテに限らずテキストサイト文化圏自体が「ネタ至上主義」色が非常に強く、その延長として非モテが語られたため、ああした形になったのだと考えられる。

はてな界隈も同様に、人文科学や自意識吐露の場としてブログを利用する文化がまず形成されており、これに即した形で非モテが語られた結果「非モテ論壇」になった。

非モテSNS非モテのコミュニケーションの場として機能しているが、これもSNSがそもそも持つ「身内と濃密なコミュニケーションをとることに適している」という特徴を反映したものである。

つまり、「非モテ」自体は非常に汎用性の高い「元ネタ」であり、その語られ方は、場のアーキテクチャに依存した形で立ち現れてくるということである。

それゆえ、各々の「非モテブーム」の間で「非モテ文化」の継承は行われない。一見同じ「ネット発の非モテブーム」のように見えても、各々のブームは全く別の場所、別の人間から始まっているからだ。「非モテの歴史」と言えるような連続性ある文脈は、非モテには存在しない。

はてな論壇において、非モテは死んだ。しかし、今後もあらゆるネット上の文化圏で「非モテブーム」は興るだろう。いやネットに限らず、新旧問わないあらゆるコンテンツ上で、「非モテ」は形を変えて語られ、消費されていくだろう*6

非モテ」は、それほどまでに汎用性が高く、笑いのネタとしても使えれば真剣な討論のテーマとしても耐えうる、あらゆる立場の人間の心に訴えかける力を秘めた魅力的な素材だ。非モテは文字通り「非モテ」だが、これを媒介にしたコミュニケーションは、ある意味では「モテ」なのである。

未承諾広告

この文章は、2009年12月に発刊された同人誌「奇刊クリルタイ4.0」に寄稿した文章です。「奇刊クリルタイ」は、来週日曜、5月23日(日)に行われる第10回文学フリマでも発売されます。

他の寄稿者の原稿も超面白いので、興味を持った方は是非お買い求めください。残部数もあまりないようなので、お早めに!


【第10回文学フリマ
日時:2010年5月23日(日)
場所:大田区産業プラザPiO
公式:http://bunfree.net/

クリルタイ4.0」は、「L-20 奇刊クリルタイ」にて販売!

*1:僕自身はこの頃のことはリアルタイムでは知らないんだけど、「奇刊クリルタイ2.0」でこの辺りに触れられてるので興味のある方は是非。

*2:一番有名なのは『侍魂』の『先行者』だろう。

*3:僕自身、初めて書いた非モテ系テキストは「汎用適応技術研究」に投稿した「症例2」だった。

*4:republic1963氏によるイベントレポ参照。

*5:オタク系クラブイベント「DENPA!!!」に集う若いオタクを指し、DJテクノウチ氏は「超ライトオタク」と呼んだ。オタクをやることへの屈託の無さが特徴とされる。

*6:たとえば「モテキ」はマンガというアーキテクチャで行われた「非モテ語り」であるともいえる。