ブロードバンドの通信速度にいまさら感動したりしないように、現代の若者にとって「経済的豊かさ」と「幸せ/不幸」はあんまり関係がない(朝生感想)
初めての朝生
- 朝まで生テレビ 2010/7/24 放送 『激論!”若者不幸社会”』
http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/video/1007/program.html
喪服ちゃんとあずまんが出るというので、オタ話が聞けるかなと思って初めて朝生を観た*1。
年配層による経済の話が多かったけど、若者の幸せを語るのに、経済はあんまり重要じゃないだろとオモタ。
僕もここ数年、全然給料上がってないし、経済的な話をすればいまの若者が一昔前の世代に比べて恵まれていないのは明らか。そんなのは「いまさら議論されてもね…」という感じ。
でも、「経済的に恵まれていない=不幸」かといえば、必ずしもそんなことはないわけで*2。
そもそも今の若者は、経済的には日本が豊かになった後の世界しか知らない。貧乏を知っていて、そこから這い上がった旧世代より、カネやモノに対するありがた味や執着が薄く、たとえ経済的勝者になってもそこからカタルシスを得にくく、幸せを感じにくい世代。
いまさらブロードバンドの通信速度に感動したりしないのと同じ様に、経済的インフラが既に整った世の中に育った世代にとって、カネやモノはあって当たり前の物で、得たからといってそこから幸せを感じるような代物ではないのです。
そのことを知ってか知らずか、「経済的に豊かになること=幸せ」だった時代に、実際にその幸せを手にした旧世代の勝利者たちが、自分の体験をベースに経済という「旧世代にとっての幸せ」をモノサシとして現代の若者の幸せを語り合っていて*3、なんか議論のポイントがズレていると思った。
そんないまの若者にとっての幸せとは、カネやモノという旧世代のモノサシに乗るのではなく、自分のモノサシで自分の幸せを定義し、それを実現させることなんじゃないかと思う。金持ちになったって、幸せなんて感じられないんだから*4。
ただそれは、人生の目標を自分で探さなければならず、また、そうした「自己実現」をする為には相応の能力も必要になってくる。「経済的成功」という共通の目標に向かって「右にならえ」でとりあえず幸せになれていた世代に比べ、幸せになるための敷居は何気に上がっているようにも思う。
そうした意味で現代の若者は、「幸せへの難易度が上がっている世代」ということはできるのかも知れない。