世界のはて

『はてな非モテ論壇』の一角だった場所

口が悪い人間になりたい願望

僕の最も古い記憶のひとつに、こんなものがありまして。
歳の頃は、4歳くらい。幼稚園年中組。いまでは全く考えられないんだけど、僕は当時かなりわんぱくなガキんちょで、幼稚園バスなんか乗っても一番五月蝿くて、口が悪い部類の子供だったんですね。いっつも「てめーうるせーバカやろー」とか言ってるような。
ある日僕は、いつものように三輪車をかっとばし、「てめぇら、どけどけどけー!!」とか叫びながら、主婦がおしゃべりしてる間を猛スピードですり抜け、マシンを自在に操る快感と、そのスピードに酔っておりました。三輪車で。
で、そしたらですね。一人の主婦が僕に向かって嫌悪感を露にしながら、こう言うのが聞こえたんですよ。
「あら、やぁねぇ」
僕は突然、なにやら強い悲しさやら罪悪感やら恥ずかしさやらが入り混じった、複雑な感情に襲われましてね。すっかり哀しい気持ちになってしまい、三輪車のスピードを出す気力もなくなり、ゆっくりきこきこ漕いでいったんです。そのショックのせいですかね?ぼーっとしていた僕は、突然ぱたっと転んでしまったんですよ。三輪車に乗ったまま。
その転んだ場所は、細い路地から大通りに出る十字路の角。そこにタイミング悪く、ダンプカーが大通りから左折してきたんですね。僕の頭が、丁度タイヤの下敷きになるようなルートを通って。「あぁ、轢かれる!」そう思いました。俺はいま、死ぬんだと思いました。


……僕がいまこうしてブログを書けていることからも分かるとおり僕は生きています。幸いなことにトラックのブレーキが間に合い、僕はなんとか轢かれずに済みました。泣き叫ぶ僕に気付いた先刻の主婦の方たちが、僕の母親を呼んでくれ、母親に抱かれて僕は家に帰りました。
でもね、僕の眼の前数メートルのところまで、子供にとってはもの凄く大きな大きなタイヤが迫ってきた時の恐怖っていうのは、いまでもなんとなく覚えてるんですよ。この事件の後、僕はすっかり大人しく、あまりしゃべらない子供になってしまったように思います。汚い言葉を使ったことに対し、トラックに轢かれそうになるという「バチ」が当たったと感じたのかも知れません*1


いま、成人した僕は言葉遣いが穏やかだとよく言われます。でもこれは、自分で意識してそうしているわけではなく、単純に汚い言葉を口にすることに、もの凄い抵抗感を感じるからなんですよ。それがたとえ、仲間内で言い合う軽い冗談だとしても。この抵抗感の根源っていうのは、このときの体験が影響しているんじゃないかと、そんな気がします*2
で、ここらへんの話っていうのは、昔書いた「男の露悪的コミュニティに適応しづらい話(参照)」に繋がってきたりして、僕的にはあんまり嬉しくない性癖なんですけどね。コミュニケーションのバリエーションも狭まるし。「ラフな言葉遣いに馴染めないコンプレックス」というか。もっと口が悪い人間になりたいです。マジで。

*1:んなわきゃないんですが、子供の感じることですから。

*2:まぁ、ここらへんどこまで影響してるんだか、実際のところわかりませんが