世界のはて

『はてな非モテ論壇』の一角だった場所

俺は欲望させられる機械です

男が「欲望する性」だってことはしばしば語られるけど、俺個人の感覚としては「欲望させられる性」と言ったほうがずっと正確だと、ふと思った。


俺は美人を見れば、それがAVだろうとグラビアだろうと街ですれ違ったあの娘だろうと誰これ構わず欲望させられてしまうし、逆に不美人であれば、どんなに相手が人間的に好きでも、性的に欲望することができない。このへんの判断は、本当に俺の性的嗜好によって、意思とは無関係に機械的に決められていて、俺のチンコは正に欲望させられる機械そのものです。女性の皆さんごめんなさい。


でも考えてみれば、俺を「欲望させている」女性にしたって、好きで俺を欲望させているわけではないのだから、「欲望させることをさせられている」という機械的状況にあるといえる。そういう意味では俺のチンコ同様に、「女の身体は男を欲望させる機械である」とか言っちゃっても良いんじゃなかろうか。そこに本人の意思が介入していないという意味で。


そう、男も女も全ての人間は、自分のセクシュアリティの前では「受動」という選択肢しか与えられておらず、それをただ黙って選択する「機械」意外の何者でもないのだ。


そしてこの性の機械化が始まる時期というのが思春期であり、この時期に見られるやおい・百合・ギャル・女装等のあらゆるセクシャルな試みは、自分のセクシュアリティが機械そのものであることを受け入れたり否定したりする過程なのではないかと思う。そして、性が機械であることで生まれる「汚さ」や「悪」を、ある種の諦めを持って受け入れる瞬間というのが、多くの人にあるのではないか。

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070201/1170291501
この頃、けっこう多くの人が、というか、ある程度律儀に生きてきた人が、自分は悪い人間なんじゃないかと内心思うようになるのではないか、と思う。この言い方はつたなくて、ちょっとくらい感性のある人間ならティーネージで、自分って悪いな欺瞞だな矛盾だなと思うくらいのことはある。ただ、そういうの違って、20代後半から30代前半に来る自分の悪さ感というのは、なんというか、うへぇ俺って私ってべたに悪じゃんという身も蓋もないもの。ひどいな、市ねよ俺くらいの感じで、自己嫌悪とかで処理しきれないもの。薄汚さというのか。汚いな俺みたいな。

ただ、これは性、というか、性欲というか、性欲によって形成される人間関係への踏ん切りというか成体化というか、この歳こいてみると、当たり前のことかもしれない

id:finalventさんがのこの文章を見て、ふとそんなことを思った*1。で、気になったのが

俺の世代から、どうも悪をきちんと受容しづらくなってきている。

という一文。コレについて色々考えてみたところで収集がつかなくなってきたので、ひとまず今日の文章はこれで終わりにする。


【追記 2007.02/02 PM.17:00】

書き終わって思ったけど、女はべつに「セクシュアリティ」によって男を「欲望させている」わけじゃないよなぁ。「セックス」によって「欲望させている」。でもそんなこと言い出したら僕もヘテロ女やゲイ男を「セックス」によって「欲望させている」だろうし……。


あぁ、そうか。人間はみんな「欲望させる」側においても「欲望させられる」側においても「性」の前では「機械」でしかあり得ないということか。でも、そこに観察される性差は無視できないと思うんだよなぁ。

*1:この文章は、性的な話だけを指しているわけではないだろうけど。