世界のはて

『はてな非モテ論壇』の一角だった場所

外見と内面を結びつける残酷さ、そして選択者の欺瞞

オタクとコミュニケーションスキル

http://d.hatena.ne.jp/Kowalski/20050817#1124239313
上記Kowalskiさんの記事にコメントしたところ、
http://d.hatena.ne.jp/Kowalski/20050819#1124399619
反応記事をいただいたので、こちらからも返信を。ちなみに議論の発端となったpippiさんの原文はこちら

ファッションで他人は簡単に騙される

まず、僕のスタンスを理解していただくために、↓http://www.nextftp.com/140014daiquiri/html_side/hpfiles/otaken/case02_1.htm
にある僕の生い立ちをご覧ください。読んでいただければわかるように、僕は非モテではなく、モテの立場です。正確にいえば、元・非モテ非モテの僕がファッションだけ変えたら、急にモテになったわけです。
だから、ファッションを変えればモテることは知っています。それはもう、面白いくらいに周囲の反応が変わりますから。でも、僕の中身はなんにも変わってないわけですよ。で、

ファッションが「内面から滲み出る部分」って考えは、間違っている。そんな見方してると男に騙される。

そういった経験を踏まえて、この発言をしています。僕自身が、女性をファッションで騙してモテたわけです。オタクな人間でも、ファッションだけ変えることで、周りが勝手に勘違いしてくれる。このことから、ファッションと内面がいかに無関係か、理解していただけるかと。

「ファッションとか話し方、目つきとか」も、生まれつきの顔に関係しまくっている

で、コレなんですが・・・・・・

だから「オタクがキモい」とか言われるのは、外見じゃないんだってば。外見て生まれついての顔かたち、スタイルって意味ですけどね。ファッションとか話し方、目つきとかは後天的なもので、それは内面から滲み出る部分だからまた別。

コレ、全然「別」ではないですよ。pippiさんが「別」だと思い込んでいるだけ。「ファッション」は、まず元の顔がそこそこ良くなくては似合いませんし、「話し方」が相手に与える印象なんてのは、モロに顔と直結しています。イケメンがぼそぼそしゃべれば「渋い!」と言われてサマになりますが、キモメンがぼそぼそしゃべれば「キモい!」になります*1。「目つき」なんてのもねぇ・・・・・・そりゃあどう考えても先天的なもんでしょ。
まぁ、僕はたまたまイケメンだったので、ファッションを変えただけでモテモテになりましたが、すべての方が努力で同じようにできるとは、とても思えません。

外見と内面は別モノ

僕がKowalskiさんやpippiさんの記事でいちばん違和感を感じたのは、こういった「いくらでも偽れるモノ」や「先天的なモノ」を、「内面から滲み出る部分」と言って、人格に結び付けている点です。
これ、かなり危険な考え方ですよ〜。というのも、この考え方でいくと「オマエがモテないのは外見ではなく内面が悪いからだ!」という論理がまかり通ってしまうからです。でも実際には、努力ではどうしようもないほどにカオが不自由な方ってのは実在するわけで、そういう方に「オマエがモテないのは生まれのせいじゃない!内面が醜いからだ!努力不足だからだ!」と自己責任にしてしまうのは、あまりに残酷ではないかと。
僕は、外見と内面は完全に「別モノ」だと思っています。僕からすれば、「外見が悪いのは内面が悪いから」という言い分は、選択する側が「自分はメンクイじゃない」と信じ込みたいがための、詭弁にしか見えないんですよね*2。こういった「外見じゃなくて内面が悪いからモテない」系の記事が、非モテの反感を買う理由はここだと思います。自己欺瞞もたいがいにせぇよ、と。

・・・・・・かといって

かといって玉緒みたいに「キモいものはキモいんです!」とか言っても反感買うんですけど(笑)。いちばん重要なのは、自分が外見に振り回されていることを自覚しつつも、その心を自分の中でどう消化するか、外見以外の他者の良い部分をどのように評価するかだと思うんですね。

追記

Kowalskiさんの記事に、興味深いコメントが!

これはkowalskiさんがそうした「内面」を相手の風貌の内側に見出している(もしくはそうあるべきものとして「捏造している」)という可能性はありませんか? 柄谷行人氏風にいえば、「内面」が外見に反映されると私たちは思いがちですが、実は外見を見ることでそこにおけるある意味や要素を見出し、それを相手の「内面」として解釈しているという可能性はありませんか?

そうそう、まさにそういうことです。だから人は、ファッションや外見にコロッと騙されてしまうわけです。

追記2

ついでに↓のIvan_Wiskyさんにも、pippiさんの記事への解釈として、返答のTBを飛ばしておくか。

http://d.hatena.ne.jp/Ivan_Wisky/20050818#p1
よくわからないのが、pippiさんとかが書いた、「オタクVSサブカル」に対する文章に対しての、過剰な反応。
<中略>
これらの文章に対して不快感を持った人間は、いったい、どの部分に、どんな感情を持ったんだろう。ぜひ、教えてほしい。いや、教えてちょうだい。煽りでも何でもなく。正直な気持ちとして。・・・それを表明/表現することが、相互理解の一歩だと思うしねぇ・・・。

追記3

ここまで書いてきた「生まれながらのコミュニケーションスペック格差」がコミュニケーション弱者の自己責任論になってしまうことの危険性について、あまりに素晴らしい記事を発見したのでコピペ。
http://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama/20050818#p2

誰もが努力すればイチローになれるワケではない。思えば人はほとんどの「能力」に欠如している。イチローも野球以外の能力は人並みか、人並み以下だろう。しかし、「コミュニケーション能力」は別格とされているのだ。なぜか?人間社会を本質的に成立させているとする「コミュニケーション能力」にそもそも生まれついての優劣があったとしたら、そもそも人間は救い難く不平等であるという事実に直面する。これを見たくないために、あえて目を逸らせているのではないか。

ここらへんの話については、脚注でも紹介した「なぜ美人ばかりが得をするのか」を、是非とも併せて読んで欲しい。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794210191/249-9004356-6477144

追記4

誤解を招きやすかったたようなので、補足記事を書きました。
http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20050823/1124755284


*1:生まれつきのイケメン・美人は、何をしても肯定的な評価を受けやすいということは、学術的にも証明されつつあります(参照)。

*2:かつて僕が書いたこのへんの記事を参考にしてください。(「カオはココロより重い」)(「本能と現実と、そして自らの醜さを直視し、正当化の生贄を求めることをやめよ!」