世界のはて

『はてな非モテ論壇』の一角だった場所

新人類、オタク、そして脱オタ

この前「環石館」のid:cyclolithさんが、「脱オタも最近、あんまり話題に昇らなくなりましたよね」と言っていて、確かにそのとおりだと感じたのだけれど、宮台真司の文庫版「制服少女たちの選択」第2部「コミュニケーションの進化史」を読んで、その理由が見えてきた気がした。

制服少女たちの選択―After 10 Years (朝日文庫)

制服少女たちの選択―After 10 Years (朝日文庫)

以前も少し書いたけど、「脱オタ」と「新人類」には価値観的にやっぱりものすごい親和性があって、脱オタの衰退も、新人類文化の衰退に関係しているっぽい。キーワードは

あたりか。この本が出た1994年前当時と今で一番違うのはネット普及率だと思うんだけど、そのへん考えると、脱オタがなぜ2000年代前半にネット上で盛り上がりを見せ、その後廃れて行ったのか、なんてことも見えてきそう。あと、電車男ブームとそれ以降のオタクの社会的位置づけの変化とか、その必然性とか。
もう少し消化してから、なんか書く予定でメモ。

http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20060829/1156780108
ただ、「ピテカン的価値観」を持った人間と「おたく的価値観」を持った人間が対立する背景には、90年代〜00年代前半に僕が接してきたゲーマー界や、脱オタといった文脈にいたるまで、共通した「なにか」を感じさせるものがあって興味深い。
<中略>
ここにある80年代的価値観というものは、僕が青春時代にずっと内面化させられていて、最終的に「脱オタ」という形で表出された「なにか」そのものであるような気がするからだ。