世界のはて

『はてな非モテ論壇』の一角だった場所

(個性 / 社会) × 能力 = 「適性」

「使えない個性」も、本人にとっては無価値ではない


・『使えない個性は、要らない個性。』

「俺はこんなにSTGが上手いのに、それを認めない日本は間違っている!韓国のようにプロゲーマー制を一刻も早く導入し、日本が世界に誇る貴重なゲームプレイの才能を活用すべき!」

と憤っていた若かりし頃の僕(参照)にとっては耳が痛い話、ではあるw

このエントリでid:p_shirokumaさんが言っていることは、娑婆の一面の真理ではあると思うんだけど、価値基準を社会や他人に置いた方向にバランスが偏っているな、と感じる。

僕の「STGが上手い」という「個性」は、確かに社会ではほとんど「要らない個性」ではあるんだけど、それは社会にとっての話であって、僕自身にとってこの個性は、大きな楽しみとして人生を充実させる一助となっており、それは無価値ではないと日々感じている*1

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20090226/p1
普通の花屋で売られる花では満足できず、どうしてもオンリーワンになりたいというのなら、何百もの競争相手を蹴落として、ナンバーワンの座を射止めるしかない。もちろん、自分自身が蹴落とされる側に回るリスクを冒して、である。例えばフィギュアスケート浅田真央さんや将棋の羽生名人の足下には、物凄い数の敗者が横たわっていることだろう。一般に、特別なオンリーワンに到達した人間の手足は、葬り去ってきた競争者達の返り血で真っ赤っ赤なのであり、私達がテレビで何気なく眺めているオンリーワン達の足下には、何十倍何百倍の敗者の自意識が横たわっている。

と、id:p_shirokumaさんはおどろおどろしい事を言うわけだけれど、じゃあ羽生や浅田になれなかった「個性」たちのやっていたことはすべて無駄で、その人達は敗北感にまみれた惨めな人生を送っているのかといえば、そんなことはないだろう。たとえ職業として大成功を収め、社会からの賞賛を受けることはできなかったとしても、趣味として、あるいは街の将棋教室の先生として、人生に彩りを与えるパーツとして、将棋やスケートを楽しんでいる人達が、たくさん居るはずだ*2

たとえ結果的に社会から認められなかったとしても、彼・彼女等の人生にとってこれらの「個性」は無駄ではなく、人生に彩を与える価値あるものだ。id:p_shirokumaさんが言う「使えない個性」は、あくまで「社会にとっては要らない個性」だということなのだ。

自らの「個性」の中から社会に認められそうな「適性」を探せ

id:p_shirokumaさんが指摘するような問題は、自分の「個性」を金や賞賛といった社会的リソースを得る手段、つまり「職業」にしようとしたときに起きる問題なのだと思う。確かに社会的リソースは他者評価で与えられるものなので、社会にとって「使えない個性は、要らない個性」は正しい。「誰からも求められない個性」は、他者からリソースを得る手段としては、何の役にも立たない。

僕は、職業に関しては「個性」よりも「適性」のほうが重要だと考えている。一口に「個性」といっても、その内容は様々だ。「STGが好き」「プログラミングが好き」「本を読むことが好き」「ブログを書くことが好き」・・・個人が持つ様々な「個性」の中で、社会から価値を認められる可能性が高そうな「個性」・・・それがその人の「適性」。

生きるために必要なリソースを得るためには、何よりも「他者評価」が重要。ただ、いくら「他者評価」が高いことだからといって、自分の「個性」とあまりにかけ離れたことばかりやっていては苦痛だし、それで人生が充実するとは思わない。

この「他者評価」と「個性」のバランスの落としどころを、自分の「能力」や「才能」との兼ね合いの中から探ることが、人生を充実させるために重要なのだと僕は思う。このバランスがどちらに傾きすぎても、人生は充実したものにはならない。

かつて、梅田望夫氏(id:umedamochio)は「自分の好きなことをやれ。好きなことと、職業の橋渡しをする手段を考えろ」という意味のことを言っていたけれど*3、「適性」とは、要はそういうこと。

ちなみに僕の場合、職業としてはSEという自分の「適性」に合ったことをやって生きるために必要な社会的リソースを稼ぎ、そのリソースを週末ゲーセンに行ったり同人STGを作ることに注ぎ込み、「STG好き」という「要らない個性」を充足させる戦略をとっています。毎日、楽しいですよw

*1:STG好きが高じてプログラミング好きになって、それを職業にしたり、同人ゲー作ったりもできてるわけだし。

*2:「個性の軟着陸」とでも言おうか。

*3:http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070317/p1。”「好きなこと」と「飯が食えそうなこと」の接点を探し続けろ。そのことに時間を使え。”