世界のはて

『はてな非モテ論壇』の一角だった場所

好きなことやってモテた人間には、非モテの苦しみは決して理解できない

好きなことをやっていても、世間に好かれる人、嫌われる人

こちらの記事の Leiermann さんのコメントへの返信。

http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20050831#c1125504900
この記事を読んで初めて気付いたのですが、全ての「喪」がどちらかに分類しきれるかというと疑問だと思います。
<中略>
「ネガ喪」は「そこまでしたくないからモテなくてもよい」、「ポジ喪」は「そこまでやってでもモテたい」ともはや割り切ってしまっているわけで、この「あれかこれか」の「二者択一を受け容れる」かどうかという段階が、それ以前にもう一つあるのではないでしょうか。言い換えれば、「非モテ」の初期段階として「ネガ喪」と「ポジ喪」の「未分化状態」があると思うのです。

あぁ、確かに最も人数が多いのは、「未分化」の非モテでしょうね。最近、非モテ表番長の称号を与えられたKammy+さんにしても、「自分を貫きつつモテる方法があるのではないか」を模索しているように見えますしね。
未分化の非モテにとっては、「自分を貫きつつモテている」人間の存在が、理不尽でしょうがないんでしょう。これについては、「outsider reflex」のPiroさんが、次のように書かれています。

【ヲタという非モテ趣味】
http://piro.sakura.ne.jp/latest/2005/07.html#d24
もちろんヲタクはモテたくてヲタクをやっているわけではないし、バンドマンもモテたくてバンドをやっている人ばかりではないだろう。だが、好きなこと(ヲタ活動)をしていて一般人から嫌われるのと、好きなこと(音楽・バンド活動)をしていて一般人からチヤホヤされるのとを比べたとき、悲しくなるんだ。自分や自分を取り巻く状況を俯瞰してみたとき、自分の置かれた位置を再認識してしまうんだ。

コレ、僕も昔同じように考えてたんで、ホントによくわかるんですよ。若い女の子は、「好きなコトに一生懸命な人が好き」とか言うじゃないですか*1。でも、それってオタクのことじゃん。オタク、全然モテてないじゃん、と(笑)
まぁ僕もここらへんは散々考えてみたんですが、「社会的にそういうことになっている」としか、もはや言いようがありませんね。モテってのは記号ですからね。

  1. モテそうな記号(カオ・カネ・モテ趣味・ナイスバディ etc)をたくさん持っている
  2. モテるんだろうと周りが勝手に思い込む
  3. 思い込みから異性が寄ってきて、ホントにモテる
  4. 付き合いを通じて対異性テクニック獲得
  5. さらにモテる(そして1に戻る)

という、モテスパイラルがあるんですな。逆にモテ記号を持たない人間は、いつまで経っても恋愛機会に恵まれず、モテのデフレスパイラルに陥ってしまうわけです。で、Leiermann さんがおっしゃるとおり、

http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20050831#c1125504900
殆どの「モテ」の人は、こういう辛い二者択一を迫られたことがないわけで、潜在的には「未分化」かもしれません。

なわけで、モテのデフレスパイラルを経験せず、普通にやりたいことやってたらモテたという人にしてみれば、脱オタ・脱非モテの「自分革命」の苦しみは、決して理解できないのでしょうなぁ。価値観がモテ向きじゃないからといって、非モテになりたかったわけじゃねぇんだよ、こんちくしょう。


*1:僕が若い頃はよく言っていた。今は知らない。たぶん、「空気読めないから、好きなコトばっかり一生懸命な人は嫌い」とか言ってそう(笑)