結局人間の集団は
みんな電波男教
コメント欄のネガ喪の主張*1を見ていて思ったこと。みんな「電波男教」なんだなぁ、と。ネガ喪が女を叩くのは、電波男で提唱されていた「護身」なわけね。醜く恐ろしい女たちから身を守るために、5人に1人の浮気女が世の女性のすべてだと思い込み、近づいてくる女すべてを警戒する。
あんたらがどんなに女に酷い目に遭わされたのか、詳しいことはわからないけど、話を聴く限りそれなりの理由があるようだ。それは同情する。三次元の女なんか、恋愛なんかコリゴリだという心境なのだろう。「恋愛教」を抜け出して、「電波男教」を立ち上げるのもいいだろう。
でもなぁ、そこで「恋愛教」を敵に仕立て上げちゃいかんよ。価値観の違う他者を叩いて自分たちの集団の団結を図り、安心を得る。あんたらが嫌う「恋愛教」信者と同じやり方じゃないか。
結局人間、なんらかの集団を形成すると、派閥の団結・正当性主張のために、なんらかの「敵」や「下の存在」を設定せずにはいられないのか。スクールカーストの構造と同じってわけか。アメリカVSイラクなのか。
集団を作らず敵も作らず、自分ひとりで恋愛至上主義からイチ抜けたってわけにはいかんのだろうか?それが無理で、「電波男教」を結成せずにはいられないのであれば、せめて仮想敵だけは作らないで欲しいものだ。
僕が恋愛教信者に「ラブハラやめろ」と言い、電波男教信者に「女を仮想敵にするな」と言い、中立的立場を選択する理由がここにある。「集団の暴力」に対する危機感がある。
人間は、自分が正しいと思い込んだとき、どんな残酷なふるまいも平気で行うようになる。「モラル教」も同じだ。「電波男教」が「モラル教」に陥らず、「恋愛教」を弾圧する集団にならないことを願いたい。