世界のはて

『はてな非モテ論壇』の一角だった場所

格差問題の考察のために参考にさせていただいている文献2(幻想の希望が弱者を苦しめる)

【「性的なことと代替メディア」(Kammy+'s spaceブログ版 さん)】
http://kammyblog.seesaa.net/article/2805638.html

贅沢を知らない人間に,贅沢の存在を教えることは危険なことだ.本来自分の位置から見えるはずのないものを見てしまうことは,時に社会的革命がおこるほどのとてつもない怒りや不満を生み出すものだ.

「希望がない」ことが不幸なのか?「実現不能な希望を見せつけられる」ことが不幸なのか?
今、格差を論じている方達は、基本的に「強者」であり、「努力が報われた人たち」なわけで、そういった人たちが「努力が報われない社会は不幸だ」と考えるのはわかる。しかし、等の弱者からしてみれば、実現不可能な「幻想の希望」が見えることは、「健全な諦め」を阻害する要因にしかならないのではないか?
かつて「Freezing Point」さんで、「自分にまだ性愛の可能性が残されているということを考えるのが、最もつらい」といった趣旨のひきこもりの方の発言を見たことがあります。