世界のはて

『はてな非モテ論壇』の一角だった場所

あらゆる「語り」がテンプレ化された現代社会において、個人に固有の体験などもはや存在しない ← というテンプレ


最近、自分にとっての非モテ問題っていうのは、結局のところ「失われた青春を取り戻す問題」だったんじゃないかということで、自分の中でまとまりそうな感じがしていて*1

スクールカーストに強い執着を見せたり、今でも学生時代のことが夢に出てきてうなされることがあることから考えると、この結論も決して誤りではないんだろうけど、こうして物語化することで、色々細かい部分で零れ落ちる部分はあるんだろうな、と思う……

……と、↑のようなことをぼんやり考えていたら、突然妙なデジャヴ感に襲われた。ん?この「トラウマの物語化によって癒されるものと失われるもの」みたいなテーマは、昔なんかの本だかネットだかで読んだ覚えがあるぞ?*2

んー、そうか。情報化が進んだ現代社会においては、あらゆる物事は既に「テンプレ」としてどこかで語られていることが情報として入ってくるようになっており、個人的な体験がその人固有の特別な経験として感じられにくくなっている、ということなのかも知れないなー。そういや昨日読んだ、id:lylycoさんの「匿名ダイアリーの自分語り=物語化という病」という記事でも、個人体験のテンプレ化問題について触れられていたなー……

……と思った瞬間、たったいま僕が思いついたこの「個人体験のテンプレ化問題」もid:lylycoさんのブログで既に語られていたテンプレじゃん!ということに気付き、愕然としたワナ!

ちなみにさらに昔まで逆上ると、「情報化が徹底した現代社会では、個人的な体験がその人固有の特別な経験として感じられにくくなっている」という話は、むかし宮台真司だかの本で読んだ覚えがあり、そもそもとっくの昔にテンプレ化されていた話だったことを今さっき思い出した。がびーん。

*1:あくまで僕個人の話。他の人にとってはまた個別の「非モテ問題」があるんだろう、と思う。

*2:具体的にどこかまでは忘れた。