世界のはて

『はてな非モテ論壇』の一角だった場所

「ゲーム性」の定義が曖昧になってマジックワード化しているのは、コンピュータゲーム登場以降、そこで動く娯楽ソフトはゲームではないものまで「ゲーム」と呼ばれるようになったからじゃね?


↑を読んで、タイトルのようなことを思った。はてブで書いたように、「ゲーム性」とは、そもそも将棋、麻雀、多くのスポーツといったモノが持っている要素だと僕は思っていて。それは僕の言葉で言えば

  • 勝敗、少なくとも負けが設定されており、勝ちが無い場合でも、その世界のルールにプレイを最適化することによって、腕前の向上が定義されているもの*1


といった感じになる。

「ゲーム性」という言葉は、この定義の意味でのゲームとしての奥深さ、面白さ、バランス、練り込まれ具合、といったモノを評価する場合にだけ使うべき言葉だと僕は考えていて、用例としては↓のようなものになる。

【正しい「ゲーム性」の用例】
将棋は、チェスよりもゲーム性が高い。将棋はチェスとは異なり、相手の駒を奪い、自分のモノにして再利用することができる。このことが戦略の幅を大きく広げており、将棋はチェスよりもゲーム性が高いゲームに仕上がっているといえる*2


たぶん、昔は「ゲーム性」という言葉は、本当に↑のような意味で使われていたんだろうと思う。でも、それがなんでマジックワード化したのかといえば、コンピュータゲーム登場以降、「コンピュータ上で動く娯楽ソフト」はすべて「ゲーム」とひと括りに呼ばれる風潮が出てきたからじゃないだろうか。

例えばビジュアルノベル。僕は、面白いビジュアルノベルをプレイしたとしても、それはゲーム性が優れていたから面白かったのだ、とは思わない。シナリオや演出、あるいはキャラクター等が優れていたから面白かったのだ、と思う。そもそも僕は、ビジュアルノベルは正確には「ゲーム」ではなく、「インタラクティブノベル」とでも呼ぶべき、ゲームとは別の娯楽だと考えているし*3

ところが、ビジュアルノベルが「ゲーム」の1ジャンルとして認識されている現在では、この娯楽ソフトの面白さを「ゲーム性」という言葉を使って語る人間が出てくる。この「ゲームではない娯楽ソフトまでゲームとして評価しようとしてしまう姿勢」が、「ゲーム性」という言葉の定義を混乱させ、マジックワード化させている原因なのではないか、と思う。

【誤った「ゲーム性」の用例】
・ゲームらしいゲームとは - はてなダイアリー
ゲーム性の強いゲーム。

「ゲーム性」の定義は人によって異なるが、ゲーマーと呼ばれる人々の中では『ファイナルファンタジー』や『真・三國無双』などといった従来の重厚長大なゲームを指し、任天堂製のゲームや任天堂ハードのゲームは「ゲームらしいゲーム」に含まれないことが多い。

↑みたいな「ゲーム性」の定義は、僕のようなゲーム性史観を持っている人間にとってはびっくりするほどあり得ない定義なんだけど、これも「コンピュータ上で動く娯楽ソフト」が全て「ゲーム」として一緒くたにされ、「(その人にとっての)娯楽ソフトの面白さ」が全て「ゲーム性」としてひとまとめに処理されてしまった結果なんじゃないかなー。


【まとめ】

コンピュータゲームにおける「ゲーム性」は、作品の「ゲーム要素」を取り出して評価するときに使う言葉*4。作品全体を評価する言葉として使ってしまうと、マジックワード化する*5

「コンピュータ上で動くゲームではない娯楽ソフト」までもが「ゲーム」としてひと括りにされている現在、「ゲーム性」の誤用に拍車がかかっている。

*1:たとえばアーケード版セガテトリスはエンドレスなので、(俺ルールを設定しない限り)「勝ち」は存在しないが、ブロックを積むテクニックに向上の余地が大きいので充分にゲーム的な娯楽だといえる(言うまでもないと思うけど、「負け」はゲームオーバー)。

*2:コンピュータチェスの世界では、コンピュータが人間のチェス名人を破ることも多いが、将棋の世界では今のところそうなってはいない。これは、将棋がチェスに比べて戦略の幅が広く、コンピュータの計算によって最善手を導き出すことが難しいためである。

*3:もちろん、ビジュアルノベルの中にも「ゲーム性」を取り入れた作品はあるだろう。その要素が前面に押し出されている作品なら、それはゲームだと思う。

*4:「グラフィックが美しい」「素晴らしい音楽」と同じように。

*5:たとえばドラクエの戦闘シーンはゲームだが、フィールドシーンはゲームではない。よって、「ドラクエは『旅してる感』が優れているからゲーム性が高い」という「ゲーム性」の使い方は誤り。「ドラクエ2のブリザードが唱えるザラキは、ゲーム性をメチャクチャにしている」はOK。