「DQN/ギャル」はもっと他人にやさしくなれ(ばいいのに)。「文化系男子/女子」はもっとワガママになれ(ばいいのに)。
http://d.hatena.ne.jp/booksbooks/comment?date=20060509#c
> 女子はあまりにも男子に性的に見られないと落ち込む生き物だったりすることもありうるとおもいます。それを否定したいとは思いませんが。でもそれで「モテ」になるべく何かをするということになるといやいや違うとかいって自分でつっこんだり、なんでそう思わないとやっていけないんだよ、恋愛なんて降りようぜと思ったり。いろいろやってみたり。そこをいいといってくれる男子(別に女子でもいいんだけど)がいればいいなとか思ってみたり。まあそれは私の話なのかもしれませんが。
でもそういうのが好きな男性は男性で馬鹿ばっかりなわけでそう、だからこっちも幻想なわけですよ。そんな幻想を抱いちゃうのはいったい何?とか、これってそもそも男「も」やってることじゃん、はふはふとかなっちゃうあたりが超絶悶えるとかじゃなかったのか。そんな私のあるあるはどうでもいいんですけど、や、うーん。
というnopikoさんのコメントを見て*1、「いくらなんでも馬鹿ばっかはテラヒドス!暴力だ!!」と思いつつも、そこ以外の部分には共感したわけですが。
でもこの「モテを意識しない、媚ない、ありのままの自分をわかってくれ!」っていう言い分はさ。非モテ男子がずっと昔から言ってきて、ことごとく女性から
「ありのままの自分を愛してくれるのは、母親ぐらいのもの。私はあなたのママじゃない!」
とか言われ、散々否定され続けている願望そのものなんですよ。他者から愛して欲しいのに、愛してもらうには「自分の嫌いな自分」(=性的存在?)にならなくはならないという悲しみ。
こういう「ジェンダーの社会的役割に乗れない/乗りたくない人間の悲しみ」という男女の共通性を見るたびに、「やっぱり非モテ論っていうのは、男性版フェミニズムだよな」と僕は思うのです。やっぱり男と女はそんなに違わないよ。
そして僕が思うのは、真っ先に「男」や「女」を屈託無く引き受けてしまった「DQN/ギャル」は、「楽」だよなぁということ*2。非モテ男やフェミ女も、もっと自分の性を肯定すればいいのに。
でも、そう考えた瞬間にさらに思うのは、「かといってDQNが強制されるような世の中は、適応できない気質の人にとっては地獄だろう。それは嫌だ」ということ。
そして最終的にいつも思うのは、「いいとこ取りすりゃいいじゃない」、ということ。みんな「他人に迷惑をかけないDQN/ギャル」か、「自らの欲望を否定しない文化系男子/女子」になればいいのに、ということ。
「DQN/ギャル」はもっと他人にやさしくなれ!*3。「文化系男子/女子」はもっとワガママになれ!*4。
そうすればきっと、世の中はもっと「楽」なものになる。