世界のはて

『はてな非モテ論壇』の一角だった場所

「視線の暴力」に関する、なんとも歯切れの悪いエントリー

前回書いた「コントロールできない他者の視線の暴力」の続きとして、↓みたいな内容の記事を書こうと思って数日間頑張ってみたんだけど、どうしても上手くまとめられずに結局力尽きた。なので、概要だけを過剰書きにして、お茶を濁すことにする。

  1. 他者の視線を完全にコントロールすることは、誰にもできない。
  2. ゆえに、僕たちは「視線の暴力」の被害者にさせられる可能性からは、絶対に逃れられない(←前回の記事ではここまで)。
  3. これにプラスして、他者がどんな視線を望んでいるかを完全に知ることもまた、誰にもできない。
  4. ということは、僕たちは他者を「評価してしまった(視線を送ってしまった)」瞬間、「視線の暴力」の加害者となり得る可能性に捉えられてしまう(その視線が『暴力』となるかどうかは相手次第)。
  5. そして僕たちは、他者を「評価」しないということは、絶対にできない。なぜなら僕たちは、他者が(文字通り)眼に入った瞬間、無意識のうちに「第一印象」という名の評価を下してしまうから。
  6. ゆえに、僕たちは「視線の暴力」の加害者となってしまう可能性からもまた、絶対に逃れられない。
  7. つまり、僕たちは誰もがみな「視線の暴力」の被害者であり、同時に加害者でもあるわけだ。
  8. ホント、娑婆世界は地獄だぜ。

僕がこのテーマについて語るとき、どうにも歯切れが悪くなってしまうのは、このテーマに「他の生物を殺して食わないと人間は死ぬ」のと同じ、どうしようもない「原罪」が含まれているからだ。

↑で示したように、他者を評価しないということは、誰にもできない。僕たちは、他者が眼に入ってきてしまった瞬間、「第一印象」という名の評価を下してしまう。相手の容姿から、声から、身のこなしから、その他もろもろの情報から。相手の意図を無視し、レッテルという名の「視線の暴力」を振るい、また振るわれてしまう。この「原罪」からは、誰も逃れられない。

ここまでが、単なる「事実」。

とはいえ、この「事実」を前にして、黙ってやられていることはないと思う。「自分にとっての視線の暴力」に抵抗することは無駄なことではないと思うし、どんどんやれば良いと思う。そうして抵抗し続け、同じ感性を持つ人間がたくさん集まれば社会的な力も持つようになり、少なくとも「その暴力」の被害は軽減されていくかも知れない。セクハラやストーカーだって、そうした多くの女性たちの告発によって「暴力」だと認識されるようになってきたわけだ。最近のいじめ加害者への厳罰化も、同じ流れだろう。

「視線の暴力」に対する憤りは、僕にだってもちろんある。僕だって、「ゲーセンで必死にスコア競ってる奴なんてダサいよね。どうせモテないのに」とか言われたら、「かっ勘違いしないでよね!別にアンタに馬鹿にされたくてSTGやってるわけじゃないんだからね!!」と、顔を真っ赤にして必死で抵抗する。

だからこそ、id:nogaminさんが「私はそこに抵抗しますし、批判を覚悟で「キモい」という生理的嫌悪感を表明したいですよ」と言いたくなる気持ちは分かるし、それに対して僕は「nogaminさんがキモいと感じるのであれば、それを表明することは意味のあることだと思います」と応えたわけです。

でもね……

何度も言うように、「視線の暴力」は人間の「原罪」なんですよ。それどころか、自分もある側面では加害者の身分なんですよ。そういうことを考えたとたん、僕はこのテーマについて何も言えなくなる。何が正しいのか、全然わからなくなる。

自分の主観の視線を「暴力」だと規定するのが相手の主観なのだとしたら、誰だって自分のやることは正当だと信じているものなんだから、主観で主観を叩き返してもても、泥沼になるだけじゃないのか?その「主観対決」の正当性は誰が決めるのか?社会か?じゃあ、社会から排除された価値観を持った人間は、生涯生きづらさを背負っていかなくてはならないのか?なんとか「お互い様」ってことにはならないのか?(いや、ムリだろう)。

今回、記事を書いては消し、書いては消ししているのは、このへんの部分で僕が感じているもやもやした感覚が、どうしても言語化できないから。そんな中で、id:sho_taさんの↓記事は、僕が感じている「もやもや感」を実によく表現してくれていると感じた記事でした。

http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20070510
「視線(ここでは「らしさ」)」とは暴力です。
我々はその暴力を振るうことも、他者から振るわれることも、避けることができません。なぜなら我々自身は、その視線によってのみ作られている(確立している)からです。
我々にせめてできるのは、ただその「視線とは暴力なものだ」ということに自覚的でいることしかありません。

「我々にせめてできるのは、ただその「視線とは暴力なものだ」ということに自覚的でいることしかありません」

あぁもう、こんだけ長く書いといて、結局何が言いたいんだか自分でもわからん形で終わってしまった。まぁ今回のは、自分でも消化し切れてないもやもや感をなんとか表現してみようという試みだったから、しょうがないな。……っていうか、今回の記事で僕が言いたいことは↑で引用させてもらったid:sho_taさんの記事に全部書いてある感じがするから、こんなとこ読んでないでみんなそっちを全文読んだほうがいいよ!

id:sho_taさんと同じように、僕の探しものも、まだ見つかっていません。