世界のはて

『はてな非モテ論壇』の一角だった場所

「脱オタ」は「デビュー」の一形態である(『脱オタ=一般人デビュー』説)

一般人(仮称)だって、脱オタするよ!

・なぜ脱オタの呼称が脱「オタ」だったのか?
http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20071206#p2

  • オタクではないひとにだって脱オタは可能
  • オタクでない人の中にも脱オタ的な活動が本人の精神安定のため有効なひとが居る


というのはその通りだと思うけど、「脱オタ的な活動をオタク以外のひとがやっていなかった」かというと、そんなことはないと思う。

ブクマにも書いたけど、「オタクでない人がする脱オタ」は「デビュー」と呼ばれているものだと思うんですよね。高校デビューとか大学デビューとか。昔書いた「スクールカーストMAP」でいえば、「オタク→勝ち組」を狙うのが「脱オタ」で、「地味系→勝ち組」を狙うのが「デビュー」。で、「脱オタ」は「デビュー」の一形態だというのが僕の考え。

なんで「デビュー」の一形態である「脱オタ」が区別されて別名になったのかといえば、単純にこの言葉が広がるキッカケになった「脱オタクファッションガイド」がオタクを対象にしていたからだと思う。

でもあのサイト、実質的には「大学デビューファッションガイド」としても使える内容なんですよね。「脱オタクファッションガイド」よりも以前から運営されていた同系列サイト「いちからはじめるファッション入門マニュアル」には*1、「このサイトはいわゆる脱オタにも利用できると思いますが、とくに脱オタに特化した内容を扱っているわけではありません」と注意書きがされていて、実際その通りだったし。

だからもし、「脱オタ」という言葉をもっと一般化させた表現にしたいなら、「一般人デビュー」っていう感じになるんじゃないかと思う。そうすれば、id:matakimikaさんが

http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20071206#p2
はてな非モテのひとたちの場合の「オタクでもサブカルでもないぼくたち」とかなかなか言い当たってるかんじだなー、それでもやっぱり既存のなにかに対する不(非)参画という表現になっちゃうのかー、と思ったりしたけど、この「〇〇以外のぼくら」的な定義付けは、結局その「非〇〇、〇〇に対してネガティヴな」という部分だけの微かなつながりなので

という「非○○」的ネガティブなものではなく、「一般人(仮称)」という目標に向かったポジティブな表現に……!は、あんまりなってないなぁ(笑)

あと、脱オタする人は僕を含めて「恋愛とかリア充的活動とか、人並み(=一般人並)の経験がしたい」という動機でやる人が多いと思うので、このことから考えても「一般人デビュー」というのはそれほど外していない表現ではないかと思っています。


脱オタ」と「デビュー」の違い

↑に書いたように、「脱オタ」は「デビュー」の一形態だというのが僕の考えなんだけど、このふたつの違う点を挙げるとしたら「脱オタはデビューよりも大掛かりで大変なものになりがちだ」という部分だと思う。

文化的軋轢をを乗り越える必要が無く、ただ自分が所属する文化や価値観の延長線上にある「イケている人間」になればいい「デビュー」と違い、「脱オタ」は多くの場合、「オタク」というハビトゥス*2から「一般人(仮称)」というハビトゥスへの文化圏移動の苦痛を伴いますからね。

脱オタでは、自分の生活様式や価値観を、それまでとは全く別のモノに変えざるを得ない場合が多い。その苦労が大きいから、脱オタ者にはその経験の「苦労話」を語りたがる人が多い*3

あと、オタクは交友関係もオタクで固まりがちなので、周囲の人間から「一般人文化圏」に関する適切なアドバイスが受けにくい。で、目標とする「一般人文化」が解らないからこそ、端から見たら滑稽に映る「失敗談」にあふれ返っている。こんな事情が「脱オタ」周辺にはある感じがする。

だからまぁ、「文化圏が違うゆえに、地味系よりも大掛かりで大変なことになりがちなデビュー」が脱オタだと考えてもらって大体間違いないんじゃないですかね。

*1:脱オタクファッションガイド」管理人久世氏は、かつて「いちからはじめるファッション入門マニュアルのパクリだ!」と糾弾されてサイト閉鎖に追い込まれた程に両者は似ていたし、実際久世氏は「いちからはじめるファッション入門マニュアル」を参考にして「脱オタクファッションガイド」を作ったと言っていた。

*2:フランスの社会学ブルデューの概念。「文化圏」みたいなもん。参照:脱オタの困難さとは、ハビトゥス(規範システム)から抜け出すことの困難さそのものと見つけたり

*3:あとまぁ単純に、ネットはオタクの分布がリアルよりも高いからというのもあると思う。